読書

「戦時下の化粧品広告」から学ぶ、これからの広告。

近所の図書館でたまたま見つけた「図説 戦時下の化粧品広告〈1931-1943〉」がとてもよかったです。広告の歴史も繰り返すんだなぁと感じた良書だったので、まとめてみました。

戦時下の広告手法を現代も繰り返している。

本来、広告では商品の特性や特徴を語ることで、十分なはず。でも、広告そのものを認識してもらうためには、やはり注意を惹きつける必要があります。

1930年代。化粧品広告では人々の注目を引き付けるために、知名度のある女優とのタイアップや、おまけ付きの懸賞広告が増えたといいます。とくに、懸賞広告のついた商品の空箱が乱売されて、問題になったほどだったとか。有名人やインフルエンサーを介して商品を売ったり、おまけをつけて注目させることは、なにも今にはじまったことではないということですね。

このような手法が増加してしまう理由のひとつが、同じような商品が市場に増えることにあります。製品スペックにほとんど差がないので、差別化するのが難しくなってくるんですね

その後もしばらく、あの手この手で広告の見せ方を工夫するんですが、これも現代と似た手法があり、とても面白いです。

たとえば、今でいう美容家や美容研究家のような人を「先生」として広告に登場させて、化粧法を指南する宣伝方法や、化粧のスピードや手軽さに訴求を尖らせるとか、いろんな広告が生まれました。当時は広告スペースが不足するほど溢れていたといいます。

戦時下におかれた広告の行く末。

広告が溢れかえっていたそんな時、支那事変(日中戦争)が起こります。これによって、派手な広告をやっている場合ではなくなります。

でも、商品は売っていかなければいけない。そんな売り手側の都合で生まれた広告には「忙しい時でも手軽に化粧ができる」とか「出兵前に身なりをキレイにして送ってあげよう」とか、あまりにも世間とズレたコピーが書かれていました。まさに開いた口がふさがらない…。でも、現代でもこういったモラルや品性の欠けた広告はたくさんありますよね。

この結果、非常時の化粧品は時代と交わることなく、消費者に嫌悪感しか与えないものになります

その後、広告が行きついた先は「本質」だったそうです。「美」とはなんなのか?化粧品の存在はなんなのか?もう一度、定義をしなおし、すべての人に提示しなければいけなくなったんです

つまり、広告の「量」より「質」が求められる時代となっていったんですね。

本質をつらぬく広告が生き残る。

以上は本書の一端ではありますが、こうしてザっと歴史をみても、2020年の状態と非常に酷似する点が多いとぼくは思っています。

Eコマースの発展やSNS、スペースが無限にあるインターネット上で大量に広告が投下されているなか、突然起こった新型コロナウイルスという非常事態。

この非常事態をきっかけに、一人ひとりがほんとうに必要なもの、大切なものを見直していますよね

そんな状況下で選ばれ続ける商品やサービスには、きっと「本質」「思想」がしっかりとある。社会的意義を持ち、ブレずに地道にやってきた企業や人に、より人が集まっていく流れはどんどん加速していきそうな気がします。