ぼくはNOLTYのリスティ1のヘビーユーザーです。バーチカルで予定が見える化できるし、持ち運びもしやすくて好きです。罫線が黒じゃなくて緑のほうが目に優しくてオシャレという理由だけで、ロフト限定版をわざわざ買っちゃうくらい好きです。
…が、手帳の話はまた別記事で紹介するとして、コピーの話です。
手帳に書いているのは「予定」ではなく「未来」なんだと、改めて気づかされるコピーです。
予定を消した後、手帳を叩くように閉じて、再び手帳を開いて予定を書き込んでいく姿は、まるで何度殴られても起き上がってくるボクサーのようです。
コロナ以降、商品やサービスだけでなく、社会に対してどんな役割を持っているのか、広告を通して伝える企業が増えたように思います。このNOLTYのCMもそうですね。コロナ禍の社会を描き、そのなかで手帳がどんなふうに人々を励ましていくのかという態度が伝わります。
しかし、このCMは社会への態度を示しているだけではありません。手帳に書き込むのは「予定」ではなく「未来」なんだという、再発信をしているのがポイントです。「予定」=「未来」なのは当たり前なんですが、言葉として「未来」と認識することで、手帳の存在が「人生」にグッと近づいてきます。
社会への態度が、商品価値とちゃんと紐づけられて発信されているので、違和感なく受け取ることができますよね。
それと、社会への態度を示すのであれば…
白紙から、立ち上がろう。
…のほうが、やさしくて良さそうに思うのですが、ちょっと偉そうに見えるんですよね。コピーの主語がはっきりとNOLTYになってしまって、少し上から目線の印象を受けます。でも…
白紙から、立ち上がれ。
…にしておくと主語が自分、つまり自分自身を奮い立たせるメッセージとして受け取ることができるので、押し付けがましくなりません。なので、ベストな言い回しになっているなぁと勉強になりました。
最近はデジタルで予定を「入れる」ことが増えていますが、やっぱり手帳に「書く」という運動は、人を前に進める原動力になっている気がしますね。