仕事術

部活で頑張った経験は、社会人になった時に必ず仕事の役に立つ。


完全に個人的な意見で批判もくらいそうだけど、学生時代に部活はしておいた方がいい。社会人になって10年経つがそれを強く感じる。部活の経験が、社会に出てからの成長に多少なりとも影響が出る思うからだ。

誤解のないように伝えると、別に部活である必要はない。
バイトでも恋愛でも勉強でもいい。

大事なのは、努力や挫折を味わい理不尽を経験することにある。

「〇〇したのに…」は通用しない。

部活は、理不尽の経験をわかりやすく得られる。勝ち負けがはっきりするし、レギュラー争いやプレーのうまいヘタなど、現実を突きつけられるからだ。

部活を例にするもう一つの理由は、部活を始める動機にある。

おそらく向き不向きではなくて、自分が純粋に「好き」「やりたい」と思って入部するケースがほとんどだろう。自分はこれが向いてるから、この競技はライバルが少ないから、といった合理的で戦略的な動機で部活を選ぶ人はたぶん少数だと思う。

だから、部活には損得がない。限りなく、純粋なキッカケで始めている行動だ。

そして、やっていくうちに楽しくなってくると、もっとうまくなりたくなる。レギュラーになりたい、得点を決めたい、優勝したい。そんなふうに結果を求めるようになる。でも実は、結果を求めると部活はどんどん残酷なものになってくる。

なぜなら、好きだけでは結果が出ないからだ。

好きという気持ちは純粋でキレイだ。でも、本気で頑張った努力が報われないことが普通にある。というか極論、優勝したチーム以外は全員報われない。

ここに理不尽の経験がある。

世の中、きれいごとばっかりじゃない。努力しても、どう足掻いても叶わないことがある。

一生懸命、頑張ったのに…
時間をかけたのに…
ケガして、手術までしたのに…

「〇〇したのに…」という理不尽の経験を学生時代のうちに味わい、理不尽に対する処理方法を、社会に出る前に会得すべきだと思うのだ。

残り5分。0-96の点差でなぜ全力で走れたのか?

ぼくは中学高校とラグビーをやってきた。中学も高校も弱小校だった。そのくせ練習はきつかったし、無駄に怒られたし、全然勝てないし、怪我してレギュラーから落ちるし、モテないし。高3最後の1年なんて悲惨だった。最後の公式戦で2回勝っただけ。それ以外は練習試合も含めて全部負けてた。あれは酷かった。

それでも、楽しかった。

過去の記憶だから美化されていると言わたらそれまでだけど、確かに小さな成長を自分でも感じていた。

そう思えたのは、自分と向き合う姿勢があったからだと思う。

高校3年生、最後の大会。残り5分。

スコアは0-96

惨敗だ。どう足掻いたって100億%逆転なんか無理。ここまで差があると、相手チームも点を取るのに相当大変だっただろう。気の毒なほど、走らせたと思う(笑)。

そんななか、ぼくは息を切らして全力で走っていた。チームの気持ちが沈まないように大きい声を出していた。あれは、逆転できると信じて頑張っていたのではない。自分のために走っていた。試合に勝つことではなく、最後までやりきる自分をゴールに設定したのだ。

これは特別な話ではない。甲子園や国立、花園…部活経験のある人はみんなそうだったと思う。

テレビで甲子園を観ているとよく映る景色だ。明らかに負けが決まっているのに、ベンチでまぶたを閉じ、手を合わせて祈るマネージャーがいないだろうか?

勝手な解釈だが、逆転できるなんて思ってないと思う。あれは〝祈る〟という行為もせずに、最後の夏を終わらせる自分が嫌なのだ。〝祈る〟という無駄と分かっている手段でさえも、すべてやりきって終わりたい。そんな自分でいたい。そういう想いが体現されたものだ。

ぼくはこれが理不尽に対する処理能力だと思っている。言い換えると、自分との戦いに変換できる能力だ。

つまり、自分ごと化する能力である。

人は理不尽な状況に置かれると、自分と向き合わざるを得なくなる。自分の考え方や捉え方、内省する時間が自然と生まれる。結果、目の前で起こっている出来事を自分ごと化して思考する力が得られる。

これを社会人になる前に会得しておくべきだとぼくは思うのだ。

理不尽の先には成長がある。

理不尽な出来事があったとき、人はどうしても他人や環境など自分以外に原因を求めてしまう。または、そうであると決めつけてしまう。きっと、人間の本能的に自己防衛として備わっているものなのだろう。

部活はそんな本能をぶち壊す。ごちゃごちゃと言い訳して自己防衛ができないところまで追い詰めてくれる。そして、自分ごと化する力を目覚めさせてくれるのだ。

社会に出れば、自分でコントロールできないことばかりで、理不尽なことが多い。

ベンチャーだから業務量が多いと不満を漏らすのか。
ベンチャーだからあらゆる経験ができると感謝するのか。

つまんない仕事だと思いダラダラやるのか。
おもしろい仕事に変えてやろうと意気込むのか。

少し昭和人間で古い考え方かもしれないが、少なくともぼくは理不尽を乗り越えていくことで成長できた。

だから、利害のない学生時代の間に一生懸命、部活(もしくはそれに付随する何か)に取り組んで、理不尽の経験をたくさん積んでおくことが、社会で、仕事で、人間形成をする上で役立つとぼくは思う。

最後に、部活にまつわる広告コピーを紹介して締めようと思う。

吉田のシュートは、いつか決まる日が来る。

今日、吉田は部活を引退する。
誰よりも練習した。
努力は必ず報われる、と思ってた。
練習しか、なかった。

でも、その挫折が、
その悔しさが、
その痛みが、
いつか彼を強くする。
吉田のシュートは、
いつか決まる日が来る。

引用元:理念広報/2013 最後の試合篇 90秒